「わたしの言語観」などというと大げさですが、個人的な言語観の変化について説明してみようと思います。
例えば、
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
という歌が百人一首にあります。
『ちはやふる』という漫画の元になった歌です。
この歌は、教科書的には、
神代の昔にも聞いたことがない。竜田川が紅葉を散り流して、水を紅葉のしぼり染めにしているなんていうことは。
という意味になります。(『ちはやと覚える百人一首』より)
昔の私だったら、意味がわかったら、それでよしとしました。
古文のテストで現代語訳ができたらよかったですから。
いまだったら、調べた方が理解が深まるかなとか、どうやったら使えるかなということを考えます。
たとえば、有吉保『百人一首』によると、業平の歌は「心あまりて、詞(ことば)たらず」の傾向があるが、「ちはやぶる 〜」の歌は「心詞かけたる所なき」とのこと。
花も実も両方兼ね備えた歌だったから、百人一首にも選ばれたのだそうです。
和歌の世界には、本歌取りの伝統があります。
先人の歌の語句や趣向を取り入れることです。
そのためには調べたり、覚えたりする必要があると思います。
和歌に限らず、アイデアを出すときもそうだし、自分ひとりで考えるときだって同じようなことだと思います。
勉強というのは、いまの自分を豊かにするためにするのだろうと、学業と遠く離れてから気がついたのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿